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わたしを離さないで カズオ・イシグロ [文学]

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2017年のノーベル文学賞は、長崎県生まれの英国人小説家カズオ・イシグロに決まった。読書家以外の人たちにはなじみの薄い人のようだ。夕方のネットの速報に「え、だれ?」という声が職場のあちこちに上がっていた。耳慣れない日本人名。長年受賞を待ち望んでいた村上春樹ではなくーという疑問も「?」の中に含まれていたのだろう。

同賞発表の夜、近所の本屋をのぞいたら、早速、イシグロ作品のコーナーが出来上がっていた。発表直後で急ごしらえだったから、在庫の本もわずかだ。そんなコーナーの中で一番冊数の多かったのが、本書である。代表作「日の名残り」よりも日本で有名なのは昨年、TBSテレビでドラマ化したからだ。綾瀬はるか主演。当時は視聴率が取れなかったが、ノーベル賞受賞で話題を呼び、近々、CS放送で再放送されるという。

舞台は英国。外界から隔絶した寄宿学校ヘールシャムは、他人に臓器を提供するために生まれてきたクローンの子供たちを育てる施設。キャシー、ルース、トミーは、そこで小さい頃から一緒に過ごしてきた。成長し、ルースとトミーが恋仲になる。トミーに想いを寄せていたキャシーは二人のもとを離れ、3人の絆は壊れてしまう。やがて彼らに「使命を果たす」時が訪れる。ルースの提供が始まる頃、3人は思わぬ再会を果たす。

物語はキャシーが幼少時代からの過去を回想する一人語りで始まる。寄宿舎で繰り広げられるささやかな楽しい出来事やトラブル。どこの世界でありがちな日常がそこにもあった。一方で、施設での奇妙な仕組みにも思いをめぐらす。情操教育のために絵画や詩に力を入れた授業、毎週行われる健康診断、保護官と呼ばれる教師たち。

そしてキャシーが15歳になった時。「映画俳優になりたい」という子どもの声を耳にした先生が真実を告げる。「あなた方の人生はもう決まっています。いずれ臓器提供が始まります。あなた方は一つの目的のためにこの世に生み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければなりません」

無慈悲で残酷な世界だ。主人公たちの悲しい運命から生じる生への願望、生まれてきた意味を問い苦悩する日々。著者の抑制の効いた文体が、それを際立たせる。人は必ず老いて死ぬ。その運命に向き合い、この世界で共有できる時間がとても短いと知った時、われわれが愛おしいと思えるものは何なのか。多くが運命を受け入れて20代で人生を終える「提供者」たちは、その時間を凝縮させてわれわれに見せてくれるのだ。

では、「提供者」たちに人権はないのか。それにはヘールシャムの創設者が答える。「世間はなんとかあなた方のことを考えまいとしました。どうしても考えざるをえないときは、自分たちとは違うのだと思い込もうとしました。完全な人間ではない、だから問題にしなくていい」。ー「あの人たちは私たちと違うのだ」。他者を排除し、都合が悪ければ目を背ける。なかったことにする。今、世界で起こっている難民や宗教を背景とした武力衝突とまったく同じ思考ではないだろうか。

本書はただのSFラブストーリーではなく、人間の普遍的なテーマに入り込もうとしている。どこの世界でも起きうる問題を、日本生まれの英国人作家が12年前に示してくれた。本書のテーマ設定について著者はNHKの番組で「私たちは私たちがつくったものに逆襲されるのですよ。よくあることですけれどね」と語っていたのが印象的だった。

物語はキャシーの回想が現代に追いつくところで終わる。ヘールシャム時代の友人たちを亡くした彼女にも、いずれ避けられない運命が待っていることは想像にたやすい。いつまでも余韻ととともに後を引く作品である。

ちなみに、表題の「わたしを離さないで(NEVER LET ME GO)」は、キャシーが寄宿舎で聞いていたカセットテープの曲名。映像化された時に再現されているが、マーク・ロマネク監督の映画(2010年)に出てくるオールディーズ調の曲より、TBSドラマに使用されたジュリア・ショートリードのジャジーな曲の方が好きだ。


わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

  • 作者: カズオ・イシグロ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2008/08/22
  • メディア: 文庫



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夏への扉 ロバート・A・ハインライン [文学]

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天才科学者のドクが発明したスポーツカー型タイムマシンに高校生が乗って時間をさかのぼり、父母の出会いを助ける―。おなじみの米映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開されたのは1985年だった。この映画の題材として大きなカギを握ったのが、タイムパラドックスである。タイムトラベルした先の過去を変えると、現代と矛盾が生じてしまう。父母がちゃんと結婚しないと、子どもである自分がなかったことになるからだ。

本書が出版されたのはそれより30年ほど前。タイムトラベル小説が直面する問題である「自分自身との遭遇」「タイムトラベルによる過去の改変」などを扱った初期のSF小説の一つである。舞台は1970年のロサンゼルス。恋人に裏切られ、発明品を親友に奪われた天才発明家ダンは、冷凍冬眠で30年後、2000年の世界に行ってしまう。そこで見つけたのが、かつて自分の頭の中で思い描いていた新型の機械。特許取得者は自分と同姓同名の人物。それは私のことなのか? 意を決したダンは密かに開発されていたタイムマシンに乗って過去に戻り、未来の結果を起こすべく手を尽くす。

さて、本書が世に出た1957年から見た2000年とはどんな世界なのか。冷凍睡眠から覚めたダンが新聞を手に取ると、こんな見出しが躍っている。「月世界定期便、双子座流星群のためなお空中に待機中」「人工授精母性団体、賃上げ要求」。残念ながら21世紀を17年経た今でもこんな世の中にはなっていない。ましてや軍事機密とはいえタイムマシンは姿もまだない。

今でも本書はSFファンの圧倒的な支持を受け、歴代SF小説ベストテンの常連である。そんな評価に背中を押され読んでみたが、コールドスリープでタイムリープするまでの親友や恋人とのやり取りが延々と続き、文庫本の冒頭130ページほど割いているのには閉口してしまった。好みの問題だろうが、なぜそんな多くの人たちに支持されるのか。一つはタイムパラドックスというSF小説の定番概念を確立したという文学的功績。そして親しい人たちに裏切られても決してあきらめず、ハッピーエンドを手にしたという痛快さだろうか。たとえ季節が冬であっても、家のドアから夏への扉を探し続けるのをあきらめなかった。タイトル「夏への扉」がそんな主人公の生き方を象徴している。


夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: ロバート・A. ハインライン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/01/30
  • メディア: 文庫



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あなたの人生の物語 テッド・チャン [文学]

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評判の高かった映画「メッセージ」が先月公開され、原作の本書を手に取った。主人公の女性言語学者、ルイーズ・バンクス博士は人類とのファーストコンタクトとなったエイリアンとのコミュニケーションを取るために軍から協力を求められる。ヘプタポッド(7本脚)と呼ばれるエイリアンは、二つの言語を持っていた。発話言語と書き言葉(表義文字)だ。

小説や映画の中で重要な役割を持つ概念が「サピア=ウォーフの仮説」である。言語によって話者の思考方法や世界観が決まっていくというもの。バンクス博士は彼らの表義文字を学ぶことにより、時間認識の方法に大きな影響を与えられる。博士は将来、妊娠して娘を授かることが明らかになる。そして娘の人生のすべてを知る。物語はヘプタポッドとの対話という過去形のパートと、娘と過ごすことになる未来形のパートが交互に記述され、現在形で終わる。そのユニークな構成は映画にしても小説にしても一度では理解が難しいかもしれないが、実に味わい深い。

われわれ人類には自由意思があるから、未来は変えられると思っている。だが、因果律を超えたかれらには過去も未来も同列に見える。「あなたのおとうさんがわたしにある質問をしようとしている。これは、わたしたちの人生におけるもっとも大事なひとときであり、わたしは注意をはらって、あらゆる詳細を心に刻もうとしている」。小説の書き出しに出てくる「あなた」とはバンクス博士の娘のことなのだ。

ヘプタポッドはある日突然、人類の目の前から消えてしまう。任務を終えた博士は、仕事のパートナーだった物理学者と結婚し、娘を身ごもる決意をする。その先の人生が必ずしも明るいものではないことを博士は既に知っている。だが、博士は決意する。未来が変えられないものであっても、「あなた」を産み、育てることを。問題は結論ではない。それにたどり着くまでの愛おしい時間を持つかどうかだ。

中国系二世の米国人テッド・チャンは寡作な作家で実質、表題作を含むこの短編集以外に作品はないそうだ。8編の収録作品はいずれもさまざまな賞を受けた佳作ぞろいである。


あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: テッド・チャン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2003/09/30
  • メディア: 文庫



君の膵臓をたべたい 住野よる [文学]

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村上春樹のエッセイ集に「ランゲルハンス島の午後」という本がある。地中海あたりに浮かんでいそうな島名だが、もちろん膵臓の中でインスリンなどを分泌する重要な役割を担った細胞塊のことだ。これなしには人は生きていけない。発見者であるドイツ医師パウル・ランゲルハンスが命名した。そうではあるが、そこは村上ワールド。表題の作品ではファンタジーな空想上の島の名前として使われている。「僕はそっと手をのばして、あの神秘的なランゲルハンス島の岸辺にふれた」と。

ベストセラーとなった本書は逆に、そのタイトルのドギツさからしばらく手に取るのを躊躇していた。出版社の営業的には、このタイトルを付けたのは成功だったのだろう。

主人公の男子高校生が病院で偶然拾った「共病文庫」。それはクラスメイトの少女がつづった秘密の日記帳だった。彼女の余命が膵臓の病気により、もう長くはないことが記されていた。彼は身内以外で唯一少女の病気を知る人物となる。秘密を共有した二人は、しだいに心を通わせていく。

根暗で他人とかかわりを避けてきた主人公は、正反対の明るいヒロインに心動かされる。若さゆえに実感できない身近な人の死。それにどう向き合えばいいか苦悩する心の内を描き出していく。主人公の名前を【秘密を知ってるクラスメイト】くん、【地味なクラスメイトくん】などとカッコ書きにしているのが面白い。彼の本名はクライマックスを過ぎて出てくる。それは彼女と付き合うことで成長した主人公が、本来の自分を知ったことの象徴のように思える。

2010年代版の「世界の中心で、愛をさけぶ」といったところだろうか。薄幸の少女と少年の物語はいつの時代にも繰り返されるが、実はこの作品には終盤に大どんでん返しが待っている。その筋書き通りに話を進めるのか分からないが、7月には本書原作の映画が封切られる。「君スイブーム」はしばらく続きそうだ。

村上のエッセイが出版された時は、「ランゲルハンス島に行ってみたい」という読者の投稿がネットに散見された。それは世界中探してもない。自分の体の中にあるのだから。他者を思いやる気持ち、厳しい現実を乗り越えて生きる力―。答えはいつも自分の中にあるのだ。


君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

  • 作者: 住野 よる
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2017/04/27
  • メディア: 文庫



何者 浅井リョウ [文学]

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もうじき6月。大学生らの就職活動が解禁になる。今年も学生が優位な超売り手市場だといい、既に内々定を出して事実上の採用活動を終えた企業も少なくないという。ここ数年、採用試験の面接官をしていると、学生時代に読んで印象に残った本に本書を挙げる若者が多い。就職活動をテーマにした内容に共感するのだろう。

ツイッターやフェイスブック、ウェブテスト…。現代の就活ツールを駆使して企業とつながり、ネットで悩みを打ち明け合う。はるか昔に就活生だった身には隔世の感がある。内定をもらえずにいる主人公は、ルームメートら就活仲間や演劇やアートなどわが道を行く仲間を冷やかに観察し続ける。広い人脈や海外渡航体験を自慢したり、前向きさを強調したり、自分を大きく見せようとする態度にへきえきとする。その気持ちが本書で重要な役割を果たすツイッターの140字以内の短文に打ち出される。

だが、時代が変わっても自分の人生を左右する就職活動を通じ、自分探しをする若者の姿は変わらない。果たして自分は「何者」なのか。広い社会の海原にこぎだし、成長と挫折を初めて味わう感情は、かつての就活生だったわれわれにも共感できるところが多い。

著者は戦後最年少の23歳の時、本作で直木賞を受賞した。就職活動の経験を題材にしたという。昨年(2016年)の秋に映画化され、今月DVDが発売になった。レンタルで見たが、あらすじは原作と同じ。映像の中のツイッター画面の見せ方は工夫を凝らしていた。続編にあたる「何様」も昨夏出版されている。就活の季節、手に取ってみようか。



何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

  • 作者: 朝井 リョウ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/06/26
  • メディア: 文庫



一九八四年 ジョージ・オーウェル [文学]

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4月4日に米国内外で一斉に上映された映画がある。本書「一九八四年」の映画版だ。全体主義国家による管理社会の恐怖を描いた。事実をねつ造し、絶対服従を求め、外敵への憎悪をあおる―。その状況が、今のトランプ政権とそっくりであることから、政権に抗議する人たちの呼びかけで広まった。

英国の作家が1949年に書いた近未来小説は世界的に売れている。日本でも大統領就任から1カ月で4万部の増刷になったという。70年近く読み継がれた本書は時代がダークサイドに入るたびに売れる傾向にあったそうだ。

契機となったのは、大統領就任式の動員数を巡って発した「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」だ。本書でも支配者に不都合な事実は新聞や雑誌などあらゆる記録から抹消され、書き換えられてなかったことになる。矛盾する二つの事柄を同時に信じる「二重思考(ダブルシンキング)」を強要される。

大衆の分裂をそそのかす社会に危機感を持った人たちが、この憂鬱なディストピア小説を手にするとは何とも気がめいる話だ。体制に服従することに不満を抱いた主人公は、奔放な美女との出会いをきっかけに反政府地下活動に加わろうとするが…。希望がない社会ほど魅力のないものはない。


一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

  • 作者: ジョージ・オーウェル
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2009/07/18
  • メディア: ペーパーバック



日本奥地紀行 イザベラ・バード [文学]

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日本の鎖国が解かれた明治期は、西洋から大勢の外国人が訪れ、東洋の端の国を「発見」していった時期である。米国出版社通信員として来日したギリシャ生まれのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、青暖簾が下がる店や青い着物を着て微笑む日本人を見て「神秘的な青い国」だと評した。最近、注目を浴びているのは、英国人女性旅行家イザベラ・バードだろう。漫画誌に連載されている「ふしぎの国のバード」(佐々大河、ビームコミックス)の主人公だ。青い目が見た未開の日本が生き生きと描かれている。

本書は今から140年前の1878年、横浜から蝦夷(北海道)まで、日本人すらも踏み入ったことのない奥地への旅を敢行したバードの4カ月間の旅の記録である。彼女の目的は、滅びゆく日本古来の生活を記録に残すことだ。文明開化に湧く日本は急速な欧米化を進めている。物質文明が浸透し、生活様式や考え方も変わっていく。

旅は当時のメーンルートだった奥州街道を避け、日光から日本海回りでアイヌの住む北海道を目指す。お供は通訳兼従者の伊藤鶴吉1人だけ。貧弱な馬と悪路に難儀し、外国人を見るのは初めてという村人の好奇心に閉口し、さらには奥地の不衛生な生活から生じる蚤の大群や悪臭、皮膚病にかかった大勢の村人に悩まされる。食料の調達にも事欠く日々が続く。もちろん、それらを忘れさせるほどの美しい日本の風景が彼女を楽しませ。

文明開化前の農村と生活様式に飽くなき好奇心を示し、忍耐強く綴った日記は、現代人では考えられない日本の光景を伝えてくれる。その視線に典型的な欧米人の偏見のようなものは感じられない。実際、通訳の伊藤がアイヌ人を「彼らは犬以下だ」という発言を厳しくたしなめる。眼病を患う村民に惜しげもなく薬を与える。世界各国を冒険し、民族の多様性を目の当たりにした彼女ならではの考え方だろう。

140年たった今、彼女が見たり体験したりしたものは、いくらかの自然しか残っていない。日本は跡形もなく西洋化され、都市化された。


日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

  • 作者: イザベラ バード
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2000/02
  • メディア: 文庫



ふしぎの国のバード 1巻 (ビームコミックス)

ふしぎの国のバード 1巻 (ビームコミックス)

  • 作者: 佐々 大河
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/エンターブレイン
  • 発売日: 2015/05/15
  • メディア: コミック



夜行 森見登美彦 [文学]

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京都市上京区の堀川にかけられている「一条戻橋」は、死者の世界と生者の世界を結ぶ橋だと言われている。平安時代、漢学者三善清行の葬列がこの橋を通った際、駆け付けた息子の浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに一時生き返ったという。また、陰陽師の安倍晴明は式神をこの橋の下に潜ませ、予言や占いの際に操ったと伝えられる。いわくつきの橋だ。

当時の古都京都は華やかな文化の美しさとは裏腹に、魑魅魍魎たちが跋扈し、陰陽師が活躍した。今も京都の町中には異世界の入り口がいくつも残されているのかもしれない。

本作は京都を主舞台に、登場人物たちが異界と現実を行き来する物語だ。学生のころ通った英会話スクールの仲間5人が、鞍馬の火祭を見物するために集まる。10年前、この祭に6人で出掛け、長谷川さんという女性が姿を消した。残った5人はそのことを忘れられずにいる。

主人公の「私」は待ち合わせまでの時間つぶしに繁華街を歩き、とある画廊に入る。そこに展示されていた銅版画家岸田道生の連作「夜行」に魅せられる。最初に目に入った「夜行―鞍馬」という銅版画は、夜の木立の向こうを列車が走り、その手前に女性が立って右手を上げている。集まった他の4人も、岸田の絵にかつて出合っていた。尾道、奥飛騨、青森、天竜峡。場所はばらばらだが、それぞれが銅版画「夜行」に絡んだ奇妙な体験をしていたのだ。「夜行」とは夜行列車なのか、百鬼夜行のことなのか。失踪した長谷川さんもこの奇妙な事件に絡んでくる。

「夜は短し歩けよ乙女」「四畳半神話大系」「有頂天家族」など、京都を舞台に捧腹絶倒、荒唐無稽なストーリーを全開で放つ作者である。これまでの作風ががらりと変わり、しっとりと時にゾッとするような雰囲気の中、物語は進む。光差す朝に向け、夜行の旅が繰り広げられる。


夜行

夜行

  • 作者: 森見 登美彦
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2016/10/25
  • メディア: 単行本



小説 ひるね姫 神山健治 [文学]

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日本の高校生は、居眠りをする割合が世界最高水準のようだ。国立青少年教育振興機構(東京)が日本、米国、中国、韓国の4カ国の高校生を対象にした国際調査結果が先日発表されたが、授業中に居眠りをする高校生は日本が15.0%で4カ国中最高だった。米国・中国が3%台で、韓国が約8%というから異常な多さだ。

本作は、そんな居眠りの得意な女子高校生がヒロインの物語だ。公開中のアニメーション映画を神山健治監督自ら書き起こしたノベライズである。舞台は東京オリンピックが迫る2020年の夏、岡山県倉敷市の瀬戸大橋のたもとの町。暮らす明るく活発な主人公の森川ココネは、授業中に昼寝をしては先生に叱られてばかり。寝ている間に見るスリリングな夢が現実と重なっていることに気づき、幼なじみと旅に出るロードムービーだ。

批評性あふれる作品作りで、主にテレビシリーズのアニメで高い評価を受けている神山監督が手掛けた初の劇場版オリジナル作品となる。今回は銃弾が飛び交う殺伐とした神山ワールドとは一線を画している。作風の変化はどこから来るのか。<映像の中で世界を救っても、現実は救えない>。東日本大震災を機にその思いは強まり、アニメーション映画を作る意味を自問していたと監督は語っている。その答えとして出されたのが、自分たちが生活しているリアルな空間の延長線上に物語の舞台を置くことだった。

AI(人工知能)やネットなど監督お得意のテクノロジーは本作でも健在。水中眼鏡型のVR(仮想現実)機器や自動運転システムといった実社会で導入されつつある技術が、物語を進める重要な役割を果たしている。いずれも、神山作品では先端技術が時に人を大いに助けたり、人命を脅かしたりするツールとして存在感を放つ。そこから一貫して感じるのは、技術の壁を乗り越える人間本来の強さと可能性だ。本作に繰り返し出てくる「心根ひとつで人は空も飛べる」の言葉通りに。



小説 ひるね姫 ~知らないワタシの物語~ (角川文庫)

小説 ひるね姫 ~知らないワタシの物語~ (角川文庫)

  • 作者: 神山 健治
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/02/25
  • メディア: 文庫



リーチ先生 原田マハ [文学]

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英国人陶芸家で、日本にも深い関わりを持つバーナード・リーチは今年、生誕130年を迎えた。白樺派の武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦、浜田庄司らと親交を得、柳宗悦の民芸運動にも参加。世界中で陶芸を指導し、東西両文化の橋渡し役を務めたことで有名だ。

本作はそのバーナード・リーチの年譜を忠実にたどりながら、それに関わる人たちとの交流を描いたフィクションである。「楽園のカンヴァス」「暗幕のゲルニカ」など、絵画を題材にした小説を次々と発表している原田さんだが、今回は陶芸がストーリー進行の大きな役割を果たしている。作者自身、美術館のキュレーターとして欧米の文化に憧れる時期があったが、しだいにアートや工芸における日本人のアイデンティティーについて考えるようになったという。

作中でも、リーチと柳が口論になるシーンが印象的だ。リーチが言う。「あなたがたは、西洋美術を礼賛しすぎだ。日本にだって、すばらしい美術がある」。栁が言い返す。「礼賛したっていいじゃないか。好いものは好いんだ」。「君は西洋かぶれだ」「あんたは日本かぶれだ」-。時代は大正年間。日本がまだまだ欧米の文化・文明を貪欲に吸収していた時世である。

東西文化の衝突と交流。それを繰り返しながら、物語は進む。インターネットを通じて世界中の誰とでも簡単にコミュニケーションが取れる現代である。当時の人々が異文化に触れるために、どれだけの労力と時間がかかったか。その並々ならぬ決意が伝わってくる。

ちなみに、主人公はリーチではなく、リーチの弟子となった架空の日本人青年。彼の国境を超えた淡い恋と別離。ほろっとするストーリーは、さすがAF(アート・フィクション)の作者を自認する原田さんならではのものだろう。


リーチ先生

リーチ先生

  • 作者: 原田 マハ
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2016/10/26
  • メディア: 単行本



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