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たゆたえども沈まず 原田マハ [文学]

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今年は「ゴッホ・イヤー」なのだろうか。10月から映画「ゴッホ 最期の手紙」の公開が始まり、東京都美術館では「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」が開催されている。そして、本書である。アート小説というジャンルを切り開いた彼女の新作の主人公は、ゴッホである。

舞台は19世紀末のパリ。伝統的な絵画から印象派がしだいに受け入れられるようになった時代。後にポスト印象派の旗手として歴史に名を残すフィンセント・ゴッホはまだ無名の画家だった。彼を献身的に支えた弟で画商のテオ。そしてこの兄弟を支えることになる美術商・林忠正と助手の加納重吉。物語はこの4人の友情を軸に展開していく。

東洋と西洋の出会いは、原田の得意とする題材のひとつである。昨年発表した「リーチ先生」では、英国人陶芸家バーナード・リーチと美学者柳宗悦が衝突する場面が印象的だった。今回は日本の浮世絵をはじめとするジャポニズムがパリの美術界、とりわけ印象派やそれに続くゴッホたちに強い影響を与えたことが物語の底流にある。

ゴッホがなぜ西洋美術の中でとりわけ日本で受け入れられるのか? そこには江戸期の日本美術のDNAが埋め込まれているからだと筆者はみているようだ。だから日本美術を世界に売り込んだことで知られる林忠正を役者として立てた。実際にゴッホ兄弟と接点があったかどうか不明だが、そこは史実をベースにフィクションを組み立てる原田ならではの手法で読者を引き込む。そして林の功績に光を当てるために、架空の助手・加納重吉を舞台に上げた。林はジャポニズムに憧れ、日本に渡航したいと願うゴッホに、「あなた自身の日本を見つけ出すべきだ」と国内でモチーフを探すことを強く勧める。

本書には「暗幕のゲルニカ」の時のような謎解きやどんでん返しはない。ゴッホが自らの芸術を見出し、精神を病んで耳を切り、拳銃自殺する―。その史実は変わらないので、ネタバレもない。ただ、そこに至るまでのゴッホの苦悩や喜び、友人たちとの確執などの人間模様が描かれるだけだ。タイトルの「たゆたえども沈まず」とは、幾度の洪水にも耐えて来たパリの街であり、ゴッホが描きたかったセーヌ川を差すのだが、決して順風満帆ではなかったゴッホ兄弟を暗示しているようにも思える。


たゆたえども沈まず

たゆたえども沈まず

  • 作者: 原田 マハ
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: 単行本



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寝る前に読む一句、二句。 夏井いつき・ローゼン千津 [文学]

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夏井いつきという俳人を知ったのは、著書の「絶滅寸前季語辞典」と「絶滅危急季語辞典」である。俳句には季語が不可欠だが、時代の変化につれて自然や生活から消えていくものもある。例えば、蚕(かいこ)やハエたたきなど。絶滅に瀕している季語を使って新しい俳句をつくれば、季語を保存できるのではないか。そんな季語と俳句を列挙した辞典である。それぞれの季語の項目に付け加えられたエッセイがざっくばらんで面白く、ページが進んだ。

彼女はいまや、日本で一番有名な俳句解説者であろう。比較的昔からの夏井ファンからすると、最近、TBSテレビ番組「プレバト!」に出演して人気を集める彼女を見るにつけ、隔世の感がある。書店ではいぜんは探さないと目に入らなかった著書が平積みしてあるし、売れ行きも好調のようだ。本書もその延長線上にあるといっていい。夏井さんがセレクトした名句を初心者でも楽しめるようにした「啓発本」である。

俳句解説の話し相手は、妹で俳人のローゼン千津さん。地元松山で活動する夏井さんとは対照的に国際的チェリストの夫と結婚し、世界を飛び回る。この姉妹の俳句に合わせたぶっちゃけトークは、死ぬまでにやりたい「棺桶リスト」から、経験者は語る「熟年離婚」の話まで多岐にわたる。「いつの間にがらりと涼しチョコレート」(星野立子)の名句について、「これは明治のマーブルチョコレートに違いない」などと思わぬ方向へ話はダッチロールしていく。

姉妹の会話から夏井さん一家のプライベートな側面が垣間見れて楽しいし、ふたりの俳句に関する知識は相当なものだ。だが、まったく俳句の勉強にはならず、啓発本でも教養本でもないことは断言できる。基本的に延々と雑談が続くのだ。タイトルの通り、寝る前に一句、二句、イラスト付きの俳句を眺めながら自分なりの空想を膨らます。雑談が心地よいノイズとなって包んでくれるかもしれない。


寝る前に読む 一句、二句。 - クスリと笑える、17音の物語 -

寝る前に読む 一句、二句。 - クスリと笑える、17音の物語 -

  • 作者: 夏井 いつき
  • 出版社/メーカー: ワニブックス
  • 発売日: 2017/10/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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たとへば君―四十年の恋歌 河野裕子・永田和宏 [文学]

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当ブログを立ち上げた時、最初に取り上げたのが河野裕子さんの「現代うた景色」だった。有名歌人から投稿のものまでお気に入りの短歌を選び、折々の季節や世相といった現代の風景に重ね合わせて解説するアンソロジー(選集)である。いずれも胸を打つ歌の数々を選び出す選球眼というか、選歌眼ともいうべきセンスに感心したものだ。ページをめくりながら、この戦後の女性短歌のトップランナーがどんな人だったのか知りたくて手にしたのが、この本である。

本書が世に出たのは、彼女は他界した翌年の2011年である。享年64歳。晩年は乳がんと闘い、その境涯を多く歌に詠んだ。本の編集に携わったのは、夫であり、同じく歌人あり、科学者の永田和宏さんだ。ふたりは大学生時代に京都で出会い、結婚し、妻の死まで40年間連れ添った。その間に残した相聞歌380首と、新聞や雑誌に掲載されたエッセイを織り込んで夫婦のたどった道のりを振り返る。

 たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか(河野裕子)

 きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり(永田和宏)

学生時代の激しい恋、 子育てに奮闘する若き日々、家族への思いと夫婦間の葛藤や孤独―。それらをすべてを歌にしてきた。特に河野さんは家事を切り盛りしながら、京都でも夫の研究で渡った米国でも、キッチンテーブルで歌をつくってきた。その幸せを素直に表したのが、この歌がとてもいい。

 ぽぽぽぽと秋の雲浮き子供らはどこか遠くへ遊びに行けり(河野裕子)

そして2000年、妻の乳がん発病が知らされる。闘病の間も歌をつくり続けるふたり。だが、その壮絶な闘病生活に妻は精神のバランスを崩してしまう。家族を巻き込み、それぞれが心身ともに疲れ果てるさまも包み隠さず歌となって記録される。

 一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため(河野裕子)

 一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ(永田和宏)

がんが転移し、病室で苦しみながら河野さんはそれでも歌をつくり続けたという。ティッシュペーパーの箱や薬袋に書きつけ、いよいよ鉛筆を握る力がなくなると、家族が口述筆記した。最後の最後まで歌人であり、妻であり、母親であろうとした姿が歌に映され、読む者の胸を打つ。最後の一首がこの歌だ。

 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が(河野裕子)

目の前にある妻の死を逆算するように過ごした残酷な、一方で濃密だったふたりの時間。そこから生まれた宝石のような歌の数々に触れるだけで、もう涙腺決壊である。



たとへば君 四十年の恋歌 (文春文庫)

たとへば君 四十年の恋歌 (文春文庫)

  • 作者: 河野 裕子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/01/04
  • メディア: 文庫



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氷菓 米澤穂信 [文学]

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原作物の映画が相次いで公開されている。製作コストを抑えられるし、ファンを中心とした動員にも期待ができるメリットがあるらしい。一方で、原作との比較は避けられない。特に登場するキャラクターがイメージ通りかどうか、期待外れならブーイングの嵐だ。ファンの審判が下ることになる。今月、実写版が公開された本書はどうだろうか。原作ファンに加え、2012年にアニメ化されて愛好者層は一気に広がっている。

キャラクターがとても魅力的なのだ。何事にも積極的には関わろうとしない“省エネ”高校生・折木奉太郎。なりゆきで「古典部」に入部し、学校内に潜む不思議な謎を次々と解き明かしていくことになる。彼の背中を押すのは、好奇心旺盛なお嬢さまで古典部部長の千反田える。「わたし、気になります!」の口ぐせが始まると、折木には止められない。それに古典部の仲間たちがからみ、ストーリーに彩りを添える。ちなみに映画ではふたりを山崎賢人と広瀬アリスが演じる。

学校内という狭い空間の中で起こる日常系青春ミステリーだ。いつのまにか密室になった教室。毎週図書館から貸し出される学校誌。あるはずの文集をないと言い張る先輩。そして「氷菓」という題名の文集に秘められた33年前の真実を解き明かすところで、本書のクライマックスを迎える。

この小説の魅力は、単なるミステリーでないところにある。主人公らの高校入学から始まり、夏休みの旅行、学園祭、バレンタインデーとイベントごとに彼らの成長ぶりが読めるからだ。それとともに続編が相次ぎ出版され、シリーズは高校2年の夏休みを描いた6冊目まできた。見せ場は、灰色の高校生活を送ろうとしていた折木が千反田の影響を受け、心を開いて積極的に行動しはじめるところだろう。逆に成績優秀で明朗な非の打ちどころのない美少女・千反田は、実家にからむ「闇」を抱える。それに手を差し伸べるのが折木である。互いに明暗を共有しながら、それを乗り越えようとするふたりが、何ともいじらしい。

作者は山本周五郎賞を受賞し、ヒット作を連発する売れっ子作家。そして大のミステリー愛読者でもある。「古典部シリーズ」の物語の随所にも、アガサ・クリスティーなど往年の名作の仕掛けに着想を得たトリックが隠されている。それを見つけるのも楽しい。文庫本の中にさまざまな魅力がぎっしり詰まっている。そんな1冊である。映画化に伴い、ファン層がまた広がるのではないか。


氷菓 (角川文庫)

氷菓 (角川文庫)

  • 作者: 米澤 穂信
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2001/10/28
  • メディア: 文庫



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わたしを離さないで カズオ・イシグロ [文学]

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2017年のノーベル文学賞は、長崎県生まれの英国人小説家カズオ・イシグロに決まった。読書家以外の人たちにはなじみの薄い人のようだ。夕方のネットの速報に「え、だれ?」という声が職場のあちこちに上がっていた。耳慣れない日本人名。長年受賞を待ち望んでいた村上春樹ではなくーという疑問も「?」の中に含まれていたのだろう。

同賞発表の夜、近所の本屋をのぞいたら、早速、イシグロ作品のコーナーが出来上がっていた。発表直後で急ごしらえだったから、在庫の本もわずかだ。そんなコーナーの中で一番冊数の多かったのが、本書である。代表作「日の名残り」よりも日本で有名なのは昨年、TBSテレビでドラマ化したからだ。綾瀬はるか主演。当時は視聴率が取れなかったが、ノーベル賞受賞で話題を呼び、近々、CS放送で再放送されるという。

舞台は英国。外界から隔絶した寄宿学校ヘールシャムは、他人に臓器を提供するために生まれてきたクローンの子供たちを育てる施設。キャシー、ルース、トミーは、そこで小さい頃から一緒に過ごしてきた。成長し、ルースとトミーが恋仲になる。トミーに想いを寄せていたキャシーは二人のもとを離れ、3人の絆は壊れてしまう。やがて彼らに「使命を果たす」時が訪れる。ルースの提供が始まる頃、3人は思わぬ再会を果たす。

物語はキャシーが幼少時代からの過去を回想する一人語りで始まる。寄宿舎で繰り広げられるささやかな楽しい出来事やトラブル。どこの世界でありがちな日常がそこにもあった。一方で、施設での奇妙な仕組みにも思いをめぐらす。情操教育のために絵画や詩に力を入れた授業、毎週行われる健康診断、保護官と呼ばれる教師たち。

そしてキャシーが15歳になった時。「映画俳優になりたい」という子どもの声を耳にした先生が真実を告げる。「あなた方の人生はもう決まっています。いずれ臓器提供が始まります。あなた方は一つの目的のためにこの世に生み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければなりません」

無慈悲で残酷な世界だ。主人公たちの生への願望、生まれてきた意味を問い苦悩する日々。著者の抑制の効いた文体が、それを際立たせる。人は必ず老いて死ぬ。その運命に向き合い、この世界で共有できる時間がとても短いと知った時、われわれが愛おしいと思えるものは何なのか。多くが運命を受け入れて20代で人生を終える「提供者」たちは、その時間を凝縮させてわれわれに見せてくれるのだ。

では、「提供者」たちに人権はないのか。それにはヘールシャムの創設者が答える。「世間はなんとかあなた方のことを考えまいとしました。どうしても考えざるをえないときは、自分たちとは違うのだと思い込もうとしました。完全な人間ではない、だから問題にしなくていい」。ー「あの人たちは私たちと違うのだ」。他者を排除し、都合が悪ければ目を背ける。なかったことにする。今、世界で起こっている難民や宗教を背景とした武力衝突とまったく同じ思考ではないだろうか。

本書はただのSFラブストーリーではなく、人間の普遍的なテーマに入り込もうとしている。どこの世界でも起きうる問題を、日本生まれの英国人作家が12年前に示してくれた。本書のテーマ設定について著者はNHKの番組で「私たちは私たちがつくったものに逆襲されるのですよ。よくあることですけれどね」と語っていたのが印象的だった。

物語はキャシーの回想が現代に追いつくところで終わる。ヘールシャム時代の友人たちを亡くした彼女にも、いずれ避けられない運命が待っていることは想像にたやすい。いつまでも余韻ととともに後を引く作品である。

ちなみに、表題の「わたしを離さないで(NEVER LET ME GO)」は、キャシーが寄宿舎で聞いていたカセットテープの曲名。映像化された時に再現されているが、マーク・ロマネク監督の映画(2010年)に出てくるオールディーズ調の曲より、TBSドラマに使用されたジュリア・ショートリードのジャジーな曲の方が好きだ。


わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

  • 作者: カズオ・イシグロ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2008/08/22
  • メディア: 文庫



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夏への扉 ロバート・A・ハインライン [文学]

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天才科学者のドクが発明したスポーツカー型タイムマシンに高校生が乗って時間をさかのぼり、父母の出会いを助ける―。おなじみの米映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開されたのは1985年だった。この映画の題材として大きなカギを握ったのが、タイムパラドックスである。タイムトラベルした先の過去を変えると、現代と矛盾が生じてしまう。父母がちゃんと結婚しないと、子どもである自分がなかったことになるからだ。

本書が出版されたのはそれより30年ほど前。タイムトラベル小説が直面する問題である「自分自身との遭遇」「タイムトラベルによる過去の改変」などを扱った初期のSF小説の一つである。舞台は1970年のロサンゼルス。恋人に裏切られ、発明品を親友に奪われた天才発明家ダンは、冷凍冬眠で30年後、2000年の世界に行ってしまう。そこで見つけたのが、かつて自分の頭の中で思い描いていた新型の機械。特許取得者は自分と同姓同名の人物。それは私のことなのか? 意を決したダンは密かに開発されていたタイムマシンに乗って過去に戻り、未来の結果を起こすべく手を尽くす。

さて、本書が世に出た1957年から見た2000年とはどんな世界なのか。冷凍睡眠から覚めたダンが新聞を手に取ると、こんな見出しが躍っている。「月世界定期便、双子座流星群のためなお空中に待機中」「人工授精母性団体、賃上げ要求」。残念ながら21世紀を17年経た今でもこんな世の中にはなっていない。ましてや軍事機密とはいえタイムマシンは姿もまだない。

今でも本書はSFファンの圧倒的な支持を受け、歴代SF小説ベストテンの常連である。そんな評価に背中を押され読んでみたが、コールドスリープでタイムリープするまでの親友や恋人とのやり取りが延々と続き、文庫本の冒頭130ページほど割いているのには閉口してしまった。好みの問題だろうが、なぜそんな多くの人たちに支持されるのか。一つはタイムパラドックスというSF小説の定番概念を確立したという文学的功績。そして親しい人たちに裏切られても決してあきらめず、ハッピーエンドを手にしたという痛快さだろうか。たとえ季節が冬であっても、家のドアから夏への扉を探し続けるのをあきらめなかった。タイトル「夏への扉」がそんな主人公の生き方を象徴している。


夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: ロバート・A. ハインライン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/01/30
  • メディア: 文庫



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あなたの人生の物語 テッド・チャン [文学]

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評判の高かった映画「メッセージ」が先月公開され、原作の本書を手に取った。主人公の女性言語学者、ルイーズ・バンクス博士は人類とのファーストコンタクトとなったエイリアンとのコミュニケーションを取るために軍から協力を求められる。ヘプタポッド(7本脚)と呼ばれるエイリアンは、二つの言語を持っていた。発話言語と書き言葉(表義文字)だ。

小説や映画の中で重要な役割を持つ概念が「サピア=ウォーフの仮説」である。言語によって話者の思考方法や世界観が決まっていくというもの。バンクス博士は彼らの表義文字を学ぶことにより、時間認識の方法に大きな影響を与えられる。博士は将来、妊娠して娘を授かることが明らかになる。そして娘の人生のすべてを知る。物語はヘプタポッドとの対話という過去形のパートと、娘と過ごすことになる未来形のパートが交互に記述され、現在形で終わる。そのユニークな構成は映画にしても小説にしても一度では理解が難しいかもしれないが、実に味わい深い。

われわれ人類には自由意思があるから、未来は変えられると思っている。だが、因果律を超えたかれらには過去も未来も同列に見える。「あなたのおとうさんがわたしにある質問をしようとしている。これは、わたしたちの人生におけるもっとも大事なひとときであり、わたしは注意をはらって、あらゆる詳細を心に刻もうとしている」。小説の書き出しに出てくる「あなた」とはバンクス博士の娘のことなのだ。

ヘプタポッドはある日突然、人類の目の前から消えてしまう。任務を終えた博士は、仕事のパートナーだった物理学者と結婚し、娘を身ごもる決意をする。その先の人生が必ずしも明るいものではないことを博士は既に知っている。だが、博士は決意する。未来が変えられないものであっても、「あなた」を産み、育てることを。問題は結論ではない。それにたどり着くまでの愛おしい時間を持つかどうかだ。

中国系二世の米国人テッド・チャンは寡作な作家で実質、表題作を含むこの短編集以外に作品はないそうだ。8編の収録作品はいずれもさまざまな賞を受けた佳作ぞろいである。


あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: テッド・チャン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2003/09/30
  • メディア: 文庫



君の膵臓をたべたい 住野よる [文学]

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村上春樹のエッセイ集に「ランゲルハンス島の午後」という本がある。地中海あたりに浮かんでいそうな島名だが、もちろん膵臓の中でインスリンなどを分泌する重要な役割を担った細胞塊のことだ。これなしには人は生きていけない。発見者であるドイツ医師パウル・ランゲルハンスが命名した。そうではあるが、そこは村上ワールド。表題の作品ではファンタジーな空想上の島の名前として使われている。「僕はそっと手をのばして、あの神秘的なランゲルハンス島の岸辺にふれた」と。

ベストセラーとなった本書は逆に、そのタイトルのドギツさからしばらく手に取るのを躊躇していた。出版社の営業的には、このタイトルを付けたのは成功だったのだろう。

主人公の男子高校生が病院で偶然拾った「共病文庫」。それはクラスメイトの少女がつづった秘密の日記帳だった。彼女の余命が膵臓の病気により、もう長くはないことが記されていた。彼は身内以外で唯一少女の病気を知る人物となる。秘密を共有した二人は、しだいに心を通わせていく。

根暗で他人とかかわりを避けてきた主人公は、正反対の明るいヒロインに心動かされる。若さゆえに実感できない身近な人の死。それにどう向き合えばいいか苦悩する心の内を描き出していく。主人公の名前を【秘密を知ってるクラスメイト】くん、【地味なクラスメイトくん】などとカッコ書きにしているのが面白い。彼の本名はクライマックスを過ぎて出てくる。それは彼女と付き合うことで成長した主人公が、本来の自分を知ったことの象徴のように思える。

2010年代版の「世界の中心で、愛をさけぶ」といったところだろうか。薄幸の少女と少年の物語はいつの時代にも繰り返されるが、実はこの作品には終盤に大どんでん返しが待っている。その筋書き通りに話を進めるのか分からないが、7月には本書原作の映画が封切られる。「君スイブーム」はしばらく続きそうだ。

村上のエッセイが出版された時は、「ランゲルハンス島に行ってみたい」という読者の投稿がネットに散見された。それは世界中探してもない。自分の体の中にあるのだから。他者を思いやる気持ち、厳しい現実を乗り越えて生きる力―。答えはいつも自分の中にあるのだ。


君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

  • 作者: 住野 よる
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2017/04/27
  • メディア: 文庫



何者 浅井リョウ [文学]

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もうじき6月。大学生らの就職活動が解禁になる。今年も学生が優位な超売り手市場だといい、既に内々定を出して事実上の採用活動を終えた企業も少なくないという。ここ数年、採用試験の面接官をしていると、学生時代に読んで印象に残った本に本書を挙げる若者が多い。就職活動をテーマにした内容に共感するのだろう。

ツイッターやフェイスブック、ウェブテスト…。現代の就活ツールを駆使して企業とつながり、ネットで悩みを打ち明け合う。はるか昔に就活生だった身には隔世の感がある。内定をもらえずにいる主人公は、ルームメートら就活仲間や演劇やアートなどわが道を行く仲間を冷やかに観察し続ける。広い人脈や海外渡航体験を自慢したり、前向きさを強調したり、自分を大きく見せようとする態度にへきえきとする。その気持ちが本書で重要な役割を果たすツイッターの140字以内の短文に打ち出される。

だが、時代が変わっても自分の人生を左右する就職活動を通じ、自分探しをする若者の姿は変わらない。果たして自分は「何者」なのか。広い社会の海原にこぎだし、成長と挫折を初めて味わう感情は、かつての就活生だったわれわれにも共感できるところが多い。

著者は戦後最年少の23歳の時、本作で直木賞を受賞した。就職活動の経験を題材にしたという。昨年(2016年)の秋に映画化され、今月DVDが発売になった。レンタルで見たが、あらすじは原作と同じ。映像の中のツイッター画面の見せ方は工夫を凝らしていた。続編にあたる「何様」も昨夏出版されている。就活の季節、手に取ってみようか。



何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

  • 作者: 朝井 リョウ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/06/26
  • メディア: 文庫



一九八四年 ジョージ・オーウェル [文学]

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4月4日に米国内外で一斉に上映された映画がある。本書「一九八四年」の映画版だ。全体主義国家による管理社会の恐怖を描いた。事実をねつ造し、絶対服従を求め、外敵への憎悪をあおる―。その状況が、今のトランプ政権とそっくりであることから、政権に抗議する人たちの呼びかけで広まった。

英国の作家が1949年に書いた近未来小説は世界的に売れている。日本でも大統領就任から1カ月で4万部の増刷になったという。70年近く読み継がれた本書は時代がダークサイドに入るたびに売れる傾向にあったそうだ。

契機となったのは、大統領就任式の動員数を巡って発した「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」だ。本書でも支配者に不都合な事実は新聞や雑誌などあらゆる記録から抹消され、書き換えられてなかったことになる。矛盾する二つの事柄を同時に信じる「二重思考(ダブルシンキング)」を強要される。

大衆の分裂をそそのかす社会に危機感を持った人たちが、この憂鬱なディストピア小説を手にするとは何とも気がめいる話だ。体制に服従することに不満を抱いた主人公は、奔放な美女との出会いをきっかけに反政府地下活動に加わろうとするが…。希望がない社会ほど魅力のないものはない。


一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

  • 作者: ジョージ・オーウェル
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2009/07/18
  • メディア: ペーパーバック



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