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分かり合おうとなんて思うなよ 「友だち幻想」 菅野仁 [新書]


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 「一生つきあえる友人を得たい」「人間関係を豊かにしておきたい」。こんな友人重視指向が強い高校生は世界で日本が突出しているそうだ。それなのになぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのか? この問いかけから本書は始まる。社会学者である著者が、人間関係で初めてつまずきを感じる多感な年頃の中・高校生に向けてアドバイスをしている。

 10年前に刊行された本だが、最近にわかに売れているという。テレビのバラエティー番組で紹介されたこともあるが、人間関係疲れに陥った現代人のニーズをうまく汲み取ったとも言える。タイトルには「友だち」とあるが、もう少し範囲を広げて、家族、恋人、職場、ご近所など「身近な他者」と置き換えると、息苦しさが伝わってきそうだ(笑)。

 SNSなどのデジタルコミュニケーションツールの発達で、より人間関係が複雑になり、ときには窮屈に感じてしまう。友だちを求めれば求めるほど、ストレスにつながる。そんな現代の病理を見通したかのようである。著者は「人と人との距離感を見つめ直すこと、気の合わない人とでも一緒にいる作法が重要」「相手が他者であることを理解するところから真の親しさは生まれる」「親しさか敵対かの二者択一ではなく、態度保留という真ん中の道を選ぶことも選択肢」などと指南する。

 要は所詮他人なのだ。分かり合えないこともあるし、仲良くなれないことも当然ある。その時に自分の立ち位置を決めよと。複雑な人間関係の中で必要以上に傷つかず、しなやかに生きられるようになるためにはそれが必要だと説いている。

 友だちは一様ではない。無償の友情もあれば、利用するだけの友だちがいてもいいじゃないか。あんまり深く考え込まない方がよさそうだ。



友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 菅野 仁
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/03/06
  • メディア: 新書



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知の巨人たちが世界の行方を予測 「未来を読む」 大野和基インタビュー・編 [新書]

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年末になるとビジネス誌が、正月には新聞各社が未来をテーマに特集を組む。テクノロジーやグローバル社会は世界をどう変革するのか、激動を続ける世界はこの先どこへ向かうのか―などなど。われわれはかくも未来について語るのが好きなのである。

その語り手が、世界最高の知性だとどうだろう。「銃・病原菌・鉄」のジャレド・ダイアモンド氏、「LIFE SHIFT」のリンダグラットン氏、「サピエンス全史」のノア・ハラリ氏…。本書に登場するのは、世界的ベストセラーを世に出したビッグネームたちだ。

「AIの発達で人類の未来はどうなるのか?」を全体を貫くテーマとしながら、専門分野の立場から未来を予告してもらっている。「資源を巡り、文明の崩壊が起きる」「AIにより“役立たず階級“が大量発生する」「人生百年時代と都市集積が到来する」「デジタル経済では、人類とサイボーグが融合する」―。

中でも面白かったのが、ジャレド・ダイアモンド氏が日本の未来についていささか楽観的な見方をしていることだ。すなわち「資源の少ない日本にとって人口減少は喜ばしいことだ」「定年退職制と言ったばかげた制度を続けるのではなく、高齢者の雇用機会を確保すべきだ」。そうすれば、少子高齢化は決してマイナス要因にはならないと。

登場する8人の知識人の未来予測は、からなずしも一致しない。それだけ、未来予測は難しいということだ。ノア・ハラリ氏も語っている。「私は学者として『こうなる可能性がある』という絵を示す」だけなのだと。そこからどう行動するかは、われわれにかかっているということか。


未来を読む AIと格差は世界を滅ぼすか (PHP新書)

未来を読む AIと格差は世界を滅ぼすか (PHP新書)

  • 作者: ジャレド・ダイアモンド
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2018/06/19
  • メディア: 新書



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直子の魂を鎮めるための小説群 「村上春樹と《鎮魂》の詩学」 小島基洋 [批評]

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村上春樹ほどその小説に関するさまざまな解釈本が出ている作家はいないだろう。それは現実と幻想が入り交じったマジックリアリズムの作風に起因するところもあるし、何より作者が種明かしをしないことが大きく影響していると思う。本書も多くの解釈本の中の1冊だろうと思って読み進めると、これがなかなか興味深い内容だった。

英文学者が手掛けた本書はタイトルにもある通り、《鎮魂》をテーマにしている。だれへのかと言えば、代表作「ノルウェイの森」のヒロイン・直子である。村上氏の初期の作品群「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」などは、登場人物や時代設定が被っている。特に直子と見られる少女は、デビュー作から登場する。主人公が寝た女の子のうち「三人目の相手は仏文科の女子学生だったが、…雑木林の中で首を吊って死んだ」とある。筆者は丹念に小説を読み込み、村上氏が死者である直子の《鎮魂》を求めた道のりを解き明かしていく。「彼女の存在を如何に描くかというのが、村上の作家生活の―少なくとも最初の十年間の―最も重要な課題となっていく」というのだ。

この解説を読んでいくと、村上氏はデビュー当時から直子的なものに憑りつかれ、その魂を鎮めるために小説を書き続けてきたように思う。村上文学の重要なテーマの一つである「喪失」はこのようにして生まれて来たのかと。

このほかにも、村上ファンの私が今まで認識していなかった二つの事柄が明らかになった。一つは、「ノルウェイの森」の冒頭に掲げられた1行の文章「多くの祭り(フェト)のために」の意味。その秘密はフィッツジェラルドの作品にかかわってくるのだが、ネタバレになるのでこれ以上触れない。もう一つはフランス的なもの(直子の専攻、阿美=ami=寮、ドビュッシー、ビートルズの「ミッシェル」…)とドイツ的なもの(主人公の選択外国語、ブラームス、「魔の山」、ハンブルク空港…)の対立である。生死を分ける二つの外国文化が物語の重要なキーになっていたのだ。

村上氏はそこまで考えて小説を書いたのか、それとも偶然なのか。本人のみぞ知る話である。村上小説を愛する人を失くした心の傷みに向き合う作品群ととらえ直すことで、ますます味わい深いものになった気がする。


村上春樹と《鎮魂》の詩学 ―午前8時25分、多くの祭りのために、ユミヨシさんの耳―

村上春樹と《鎮魂》の詩学 ―午前8時25分、多くの祭りのために、ユミヨシさんの耳―

  • 作者: 小島基洋
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2017/10/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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最強の引き出しを持つコラムニスト 「竹内政明の『編集手帳』傑作選」 竹内政明 [新書]

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新聞のコラムニストで有名人といえば、真っ先に出るのが朝日新聞「天声人語」の深代惇郎だろう。それでは読売新聞といえば? この人を挙げる愛読者は多いはずだ。朝刊一面に掲載されている「編集手帳」の竹内政明。池上彰をして「読売新聞一面を下から読ませる男」と呼ばせた。本書は2017年8月に体調を崩して一線を引くまで、16年にわたって筆をとった名コラムニストの傑作選である。

ところが、本書を買うまで筆者は竹内氏が休筆していることを知らなかったのだ。毎朝、職場で各紙に目を通すが、読売新聞を手に取るたびに「やっぱり今日も竹内さんの文章は冴えているなあ」と、したり顔で感心していたのだ。もう「節穴」もいいところである(笑)。竹内氏の後任はさぞかしプレッシャーを感じているだろう。

竹内氏のコラムの特徴は、平易な文章と引き出しの多さである。特に書き出しの引用のバラエティーは舌を巻く。古今東西の詩歌や著名人のこぼれ話、小説、映画…と、どれだけ読書をしてきたんだろうと、驚きよりを超えて絶望感に近い劣等感に苛まされるほどだ。「編集手帳」の字数は500字弱で、「天声人語」の600字弱など各紙のコラムに比べて短い。その限られた紙幅の中で、たっぷりと引用を味わわせた後、畳みかけるように本題、落ちへと引っ張っていく。

そして虐待やいじめ、痛ましい事件への怒り、やりきれなさを伝える時の筆圧がすごい。本人は東京の本社で原稿を書いているのだが、全国で起きる事件の被害者や関係者の立場に身を置き、言葉を絞り出す。「日の当たらない人に、より多く言葉をかけたい」。2015年度の日本記者クラブ賞受賞記念講演の講演録も収録されているが、そのタイトルが象徴している。

名もない市政の人たちに寄り添い、泣いたり励ましたりしてきたから、心にしみる文章が書けるのだろう。だが、読売新聞を欠かさず読んでいる筆者に言わせれば、傑作選として収録された自選121編よりも、もっといい話はたくさんあるので残念。あの話やこの話。何年たっても筆者にはとうてい書けない「傑作」の数々は、今もスクラップブック帳に収まっている。


読売新聞朝刊一面コラム - 竹内政明の「編集手帳」傑作選 (中公新書ラクレ)

読売新聞朝刊一面コラム - 竹内政明の「編集手帳」傑作選 (中公新書ラクレ)

  • 作者: 竹内 政明
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2018/05/08
  • メディア: 新書



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科学者と芸術家は同じ? 「寺田寅彦随筆集第1巻」 小宮豊隆編 [エッセイ]

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文章のうまい理系学者は少なくないと、このブログで以前書いた。その代表格を挙げるとすれば、やはりこの人、寺田寅彦だろう。地球物理学などで業績を上げる一方で、夏目漱石の元に集う弟子たちの最古参でもあり、自然科学に裏打ちされた感性豊かな文体の随筆を数多く残している。本書は、寺田が二十代から最晩年の五十代後半まで書きつがれた数多の随筆から選んだ全5巻の随筆集の1冊である。

さて、「文理融合」の理念を作品に昇華させた本人はどう考えているのだろうと思っていたら、本書の中に「科学者と芸術家」という小文を見つけた。寺田は「科学者の天地と芸術家の世界とはそれほど相いれぬものであろうか」と疑問を呈する。例えば科学者と芸術家の根幹は創作活動であり、大切なのはオリジナリティーであると。そして必要な素質として、観察力や分析力の頭脳を求める。数式にも美があり、科学者の営みにも芸術家同様にインスピレーションが働くのだと。その他もろもろの類似点を挙げた上で、両者は「近い肉親の間がらであるように思われて来る」という。

物理学者であり、随筆家でもある寺田にとっては、どちらも表現手法が異なるだけで、その心構えや精神は同じなのだということなのだろう。実際読んでみても、自然や人間に向かう観察眼が文章に豊かな彩りを添える。自宅の二階の縁側で雲を眺めながら、「日本の春は太平洋から来る」と書き出す(「春六題」)。

寺田は、師匠の夏目漱石が書いた「吾輩は猫である」に登場する物理学者水島寒月や、「三四郎」で物理を専攻する野々宮宗八のモデルとされている。小説の中には彼らが科学の知識を披露する場面が描かれる。夏目がロンドン留学で科学に開眼したことが背景にあるそうだが、弟子の寺田の影響も少なくなかろう。文豪を科学の世界に導いた寺田の才能、やはり恐るべしなのだ。


寺田寅彦随筆集 (第1巻) (岩波文庫)

寺田寅彦随筆集 (第1巻) (岩波文庫)

  • 作者: 寺田 寅彦
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1963/01/01
  • メディア: 文庫



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イルカの「海岸通り」はそうだったの? 「800字を書く力」 鈴木信一 [新書]

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事実上スタートしている今シーズンの就活がピークを迎えている。いくら売り手市場の学生も、入社試験の論文や作文を白紙で出すわけにはいかないだろう。書店には論文の書き方入門をうたった新書が平積みされている。その中で見つけたのが本書だ。

「書くことに才能はいらない。書くことで書きたいことが見出される」。要約するとそうなる。従来の文章法を覆す主張は、本読みが好きだけれども書くのはちょっと苦手と言う私のような人間にはぴったりなのである。必要なのは書き出すこと。その一文で物事のすべてを言い尽くせない。その「不足」を補う過程で「不足」は再生産され、一文一文をつないでいく中で書きたいことが見えてくる。

そういえば、事前に書きたいことがあっても、書いているうちに意図した方向とは違う内容になったりする。それは多分、書く前に頭にあったことがあいまいで、書く作業を通じて論旨が通らなくなってきたためだろう。隣接する文と文の整合性が必要なのだと本書は語る。

では、なぜ「800字」か。それは新聞の社説やコラムを基本としている。例えば朝日新聞の「社説」は1200字、「天声人語」は600字。社説だと長すぎるし、コラムだとかなり無駄をそぐ作業をしないと指定の字数に収まらない。その中間の800字(原稿用紙2枚)から始めようというものだ。

著者は高校の国語教師で、社会人向け文章教室の講師も務める。古今東西の名作から文章を引用するが、余談ながら、学生時代から何十年も勘違いしていたことが判明した。シンガーソングライターのイルカさんが歌う「海岸通り」(作詞・伊勢正三)の歌詞である。

<あなたが船を選んだのは/私への思いやりだったのでしょうか/別れのテープは切れるものだとなぜ/気づかなかったのでしょうか>

私は長年、船員になるために旅立つ彼氏と別れるジモピーの女の子の話かと思っていた。でも、本書は「鉄道でもなくバスでもなく、出発する交通手段として船を選んだのは、テープを握り合い、別れが惜しめるから」という解釈である。そういえば、「私への思いやりだったのでしょうか」につなげようと思ったら、その方が無難な解釈である。「隣接する文と文の整合性」を考えるならば。

文章の書き方よりそっちに気を取られ、全然集中できなかった新書として本棚に置いておこう。




800字を書く力 (祥伝社新書 102)

800字を書く力 (祥伝社新書 102)

  • 作者: 鈴木 信一
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2008/01/25
  • メディア: 新書



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地銀に活路はあるのか 「ドキュメント 金融庁vs.地銀 生き残る銀行はどこか」読売新聞東京本社経済部 [新書]

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地方銀行の地盤沈下が止まらない。低金利による利ザヤの縮小に加え、地方経済の疲弊に伴う資金需要の低下が追い打ちをかける。今でも地方ではエリート企業の座にあるが、そのお家事情は予想以上に厳しそうだ。全国各地で地銀の再編は進む。本書では、監督官庁の金融庁と金融機関双方の視点から、大きな転換点を迎える金融界の現状と課題をリポートしている。タイトルにもある「地銀」は激変する金融機関の象徴として位置付けられている。

旧大蔵省から分離した金融庁は、20年前の山一證券など大型の金融破綻をきっかけに誕生した。不良債権処理など銀行の検査に取り組むイメージがあるが、本書では従来の政策路線から変わっていく金融庁の姿が映し出される。その先頭に立つのが、2015年に長官に就任した森信親氏だ。利用者に信頼される銀行になるためには、安全な担保確保や手数料稼ぎのために顧客サービスを低下させてはならないというスタンスだ。銀行自身がリスクをとって工夫したサービスを提供することが地域の信頼を勝ち取る近道であるとともに、唯一の生き残り策だと強調する。

本書では、横並び意識を脱して地方活性化のために工夫する地銀の取り組みも紹介している。ただ、本書のページをめくっている間に、スルガ銀行(静岡県沼津市)のシェアハウス運営会社に対する大型不正融資問題が報道された。「個々の地銀が創意工夫して新たなビジネスモデルをつくり上げることが重要」と森長官がお手本にしていた銀行だった。そんな地銀の優等生でさえ、「増収増益」のプレッシャーの下では落とし穴に落ちる。

地銀に活路はあるのか。それは個々の金融機関だけの問題ではなく、地域そのものの課題でもある。




ドキュメント 金融庁vs.地銀 生き残る銀行はどこか (光文社新書)

ドキュメント 金融庁vs.地銀 生き残る銀行はどこか (光文社新書)

  • 作者: 読売新聞東京本社経済部
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2017/05/17
  • メディア: 新書



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「死」から始まる物語 「さざなみのよる」 木皿泉 [文学]

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50歳を過ぎたころから、「死」というものに向き合うようになった。毎年多くの先輩を送り、自分自身も人生の持ち時間が残り少なくなっている。今さら死後の世界を信じるわけではないし、自分の存在が消えてしまうことは分かっている。「その瞬間」はどんななのだろうか。自分の意識がすべて消え、真っ暗な闇と同化してしまうことに恐怖感を覚えてしまうのは私だけだろうか。

本書は、主人公・小国ナスミが癌で息を引き取るところから始まる連作短編小説である。家族や友人、かつての勤め先の知人らが病院や実家に駆け付け、彼女にまつわる思い出を語る。享年43歳。富士山ろくのつぶれかけの個人経営スーパーを切り盛りしていた平凡な女性だ。一見何のとりえもない彼女だが、思い返していくと助けられたり、勇気づけられたりしていたことに、みんなが気付いていく。その連鎖は本書のタイトルのように、さざなみのように広がっていく。

どんな凡人でも生きているかぎり、その命の輝きに誰かが触れるときがある。ナスミの短く濃厚な人生とかかわった人たちはそれに気づいた時、涙を抑えることができないのだ。翻って、自分にそんな人がいるのだろうかと思う。いや、どうかな。それでも死後に待っているのは闇だけではないと、読了後に勇気づけられたような気がする。

ちなみに私は見ていないが、本書はNHKで2016、2017年に正月ドラマとして放送された「富士ファミリー」のスピンオフだ。ドラマではナスミは既に死んでいて、残された家に幽霊として出てくる設定だ。「死」の背景を描くことで、「生」の力強さを際立たせる。喪失と再生の物語でもある。木皿流の世界観がよく出た一冊だった。



さざなみのよる

さざなみのよる

  • 作者: 木皿 泉
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/04/18
  • メディア: 単行本



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人工知能ブームに警鐘 「誤解だらけの人工知能―ディープラーニングの限界と可能性」 田中潤、松本健太郎 [新書]

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人工知能は第3次ブームを迎えているという。そのメーンの技術になっているのが、ディープラーニングだ。膨大なデータを読み込み、音声・画像・テキストを解析し、課題を解決する。それゆえに、「人工知能が人間を超える日は近い」「東京オリンピックまでには自動運転車が完全実用化される」「人工知能の発達で職業を奪われる人が続出する」といった言説が出回っている。それらはすべて、でたらめだと本書は切って捨てる。

本書は、人工知能研究に携わるベンチャー企業社長にデータサイエンティストが聞くスタイルで進む。人工知能が人間に勝るのは、処理能力と覚えたものを忘れない「完全な記憶」だ。それを元に分析するパワーは将棋やチェスでプロを打ち負かすほどにまで強大になったが、それでも将棋やチェスというごく限られたルールの中での話でしかない。人間との決定的な違いは、意味を理解しないから。ディープラーニングには「なぜ?」がないから、目の前の現象を認識する以上のことはできないのだと。

人工知能ブームで、経営者たちが乗り遅れまいと「何かできないの?」と相談を持ち掛けられることに辟易とするそうだ。その前に人工知能とは何か、それを現段階で使うことで何ができるのかをちゃんと理解することが肝要だと警鐘を鳴らす。

その上で、人工知能の開発がかなり乗り遅れている日本の現状に危機感を示す。理由は、人工知能の礎を作る「データの質と量」の不足だ。2017年に急速に普及を始めたAIスピーカーはほとんどが米国発だが、家庭内でのリアルな音声データを収集するのが最大の狙いである。米国や中国など海外の人工知能をベースにした製品が導入されるたびに、データは根こそぎ海外に流出してしまう。その差が開けば開くほど、日本の敗退シナリオが濃厚になるのだ。日本が人工知能分野でイニシアティブを取っていくためには、基礎研究の充実と統計学を中心とした学校での数学教育がカギを握ると指摘する。

人工知能に自我は芽生えるのか? そういう哲学的な問いは「意味がない」という。人間の自我でさえ、あることを証明できないのに。何年たっても人間らしく振る舞う機械ができるだけ。その主張にほっとするとともに、ロマンがないなあと感じるのは、SF映画の見すぎだろうか。



誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性 (光文社新書)

誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性 (光文社新書)

  • 作者: 田中潤
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2018/02/15
  • メディア: 新書



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「宝箱」の底で怪しく光る恋 「ミッドナイトブルー」須藤佑実 [漫画]

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恋を忘れた大人のための短編漫画集である。高校教師と元教え子が抱く秘密、失踪した兄をあきらめられない彼女に横恋慕する弟、大雪の日に偶然再会した学生時代の憧れの女性…。そこに狂おしいほど燃え上がるような恋は見当たらない。登場人物たちは年月の流れとともに大人になっていく。処世術と分別を得た後に、「人生の宝箱」をのぞき込むように初恋の思い出に浸る。そんなノスタルジー漂う作品群だ。

タイトルにもなっている「ミッドナイトブルー」はその代表格だ。天文部の高校生4人。メンバーの女の子の提案で「卒業しても2年ごとに集まろう」と約束する。その2日後、彼女は事故で死んでしまった。残された3人は約束通り2年ごとに集まる。再会するたびに、元部員たちは就職、結婚という人生のステージを踏んでいる。成長していく「残された者」と高校生のままの彼女の対比がちょっぴり切ない。

若者の恋はぎこちなく、成就する方が少ない。思い出しただけで赤面するような時もある。ただ、それをそのまま思い出として受け入れる度量をやがて身に着けるのだ。線香花火のようなあやふやでもろい恋は、いつまでも「宝箱」の底の暗闇で妖しい光を放つ。だれしも「宝箱」は持っている。「たまにはそのふたを開けてみようよ」と本書はそそのかしているようでもある。

重苦しい読後感は残らない。随所に散りばめられたユーモアと現実にはあり得ないファンタジー設定が物語を軽やかに見せている。新世代の叙情派ストーリーテラーとして今後の作品を期待をしたい。



ミッドナイトブルー (フィールコミックス)

ミッドナイトブルー (フィールコミックス)

  • 作者: 須藤 佑実
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2016/11/08
  • メディア: コミック



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